先日、知り合いがSNSでこんなことを投稿していました。それは「時間が経った古いコーヒー豆を煎り直してみた」というものでした。コーヒー豆を再焙煎して、味わいを取り戻そうと試みた訳です。結論から言うと、古くなって酸化した焙煎豆をもう一度煎っても、残念ながら香りや味わいは元には戻りません。投稿でも実際に飲んだ感想として同様の結論が書かれていたので、そのことに僕は言及しなかったのですが、投稿の中に一つ、別の気になる言葉がありました。それは「コーヒーの香りを復活させようとした」と言うコメントでした。なぜコーヒーの香りは復活出来ないのでしょうか。
コーヒー豆は焙煎(煎った)直後から大量のガスを発生し始めます。それは主に炭酸ガスで、様々な香りの成分もたくさん含まれます。焙煎から日が浅いうち、つまり新鮮な時はガスや香りの成分が豊富に含まれているので、コーヒーも豊かな味わいと香りに満ちている、つまり“美味しい”です。やがてガスと香りは徐々に無くなり、酸化は増大していきます。時間の経った古いコーヒーは美味しさが消えただけでなく、美味しくない味が増していく状態、いわば“ガス欠”で“錆びさび”なのです。車だったら修理して燃料を入れると復活しますが、コーヒー豆は農産物。だから修理は出来ないのです。
正しく言うなら、コーヒーは常に変化(劣化?)しているものです。ドリップしたコーヒーはもっと急激なスピードで味が変わるし、元の生豆に至っては、鮮度が落ちるのは勿論、そもそも収穫年度による違いもあり…。つまりあなたが飲んだコーヒーのその味、それはほぼ一期一会と言ってもいいくらいのモノなのです。言い換えれば『コーヒーとは時間軸に沿って変わり続けるもの』『時間の流れの中に存在するもの』です。常に停止していなくて、固定されていない存在。それがコーヒーの持つ魅力の一端を担っていると思うのです。
同じような存在として音楽があります。音楽は時間軸に沿って変化していき、時間の流れの中にしか存在しません。様々な芸術がありますが、芸術には2種類あると思っていて、それは「時間軸に沿って流れることで存在するか、固定されたものか」です。演劇や舞踊なども時間軸の中に存在しますね。写真や絵画、彫刻、陶芸などは固定されたものです。そんな事を思ううち、僕はどちらかといえば流れの中に存在するものが好きなのかもしれないと気付きました。たとえば自転車とか(笑)
自転車は停まっている状態=速度ゼロでは自立さえしません。走った状態=速度がないと設計通りの性能はまるで存在しない、ただの骨組みの塊です。“速度”は時間が有ってのものなので、自転車も時間軸の中に在ると言えるのです。他にもオートバイとサーフィンもやってみたいことなのだけど、オートバイは昨年免許を取るつもりだったのが、お店の物件取得費に化けたので実現せず、サーフィンに至っては子供の頃から水が怖くて泳げず、憧れだけが募るスポーツです。ううむ、話がめっちゃ脱線しました…。
コーヒーの香り(味わい)を復活させられないのは、フツーに答えるなら「農産物だから」ですが、本質的には「時間軸に沿って変わるから」です。ただこれは理屈の上でそう言っただけで、僕は実際に再焙煎をやったことはありません。でもSNSに投稿したその知り合いは、香りを取り戻すべく実際に焼き直し、味わってみました。悔しいほど素晴らしいことです。どんな味がするのか、それは実際にやった人間にしか分からないからです。いやそれ以上に、「経験」という大きな価値、時間軸の中のきらめきが手元に残るからです。経験があること、それは一番とは言わないけれど、でも強さの一つだと思います。
この記事へのコメント
pon
奥深い洞察
デボ
特徴のある色ですね
あこ
コーヒーを焼き直している時間は、ゆったりとした落ち着いた時間なんだろうなあ。とても素敵だと思います。
ほな
香りの復活はすごいです。
ほな
素敵な彩です。
dandan
焼きなおしたコーヒーはどうなのでしょう知りたい