第13話 自分のメダル

  • 2016.08.15
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お盆を過ぎましたね。夏も後半とは言え、僕の暮らす街はまだ暑い日々が続きそうです。
今や「お盆」は企業の夏期休業みたいになっていますが、本来は祖先などの故人を祀る行事。僕は線香一本もあげない不信心なヤツですが、それでも亡くなったおばあちゃんの事を思い出したりしています。
おばあちゃんの事を思う時、何故かいつも人の一生について考えてしまいます。

ウチには観葉植物としての「コーヒーの木」があります。今は小さな苗ですが、少しずつ葉が増えてきています。農作物としてのコーヒーの木は、畑に植えてから3~5年で実を付けるようになり、およそ30年ほど収穫に用いられます。ただ寿命という意味では40~70年とも言われ、もっと長寿の木もあるようです。
「現役」でいられる期間は育て方や品種で異なるでしょう。でも旬の時期だの寿命だのというその時間感覚は、まるでスポーツマンの一生と似てなくもない、と思ったりして。ちょっとオリンピックの見過ぎです、はい。

人は幼い頃、恐らく階段を一段上がる事さえ大変だったのに、今や遅刻しそうな時はその階段を、一段抜かしで駆け登ることも出来るでしょう。(危険なことは止めようね。)
でもある日、その身体はほころびを見せ始め、たとえメダリストでも、やがてその一段を上がる事さえ難儀な時が訪れる…。あ、幼き日々と同じだ。

「つまり、人生とは放物線?」
その前半において、生きる=成長することであり、高みを目指してのステップアップですよね。
コーヒーの木も良質な豆を収穫すべく、様々な取り組みを経て育て、収穫し、僕らの元に届けられています。でもやがて経済寿命などと呼ばれる期間を過ぎると、その役目を終えます。

以前、人生の終盤は、右肩上がりの時期から水平飛行へ、やがて放物線を描いて何処かしかるべき場所に着地するもの、僕はそんなイメージを持っていました。いつかは着地点を見極めていくことになり、高度が高いうちは選べるけれど、車輪を出すほど高度を下げた時は、目の前の限られたエリアのどこかになるかもしれない、とかね。

飛行機は離陸よりも着陸の方が難しいと言われます。もし人生もきれいに着陸しようと思うと、想像以上に難しいかも?なんて思う事もあり、身体能力はさておき経済能力の高度が怪しいクロダは、頑張って上昇気流を捕まえなきゃ、なんて思ったりして。あれ?上昇気流?人生は放物線のはずじゃないのか?

僕のおばあちゃんもそうだったように、実際多くの人はどこか放物線に似た軌跡を描いて進むのだとは思います。ただ時には想いもよらぬ上昇気流によって、予測不能な軌跡を描くこともある、と。

例えば、CMに登場した事がきっかけで、全国的に有名人となったご高齢の双子の姉妹がいました。オリンピックのメダルと同じお名前の方、と言えば分るでしょうか?それまでは市井の人々そのものだったはず

なのに、その人生の最終盤で想像だにしない上昇気流が起こり、信じられない経験をされたお二人だったと思います。
それはいつだって本人にしか分からない特別なもの。自分だけの軌跡。自分だけのゴール。そして自分だけのメダル。

おばあちゃん、あなたはどんなメダルだったのだろう?

この記事へのコメント


おこめ

いい写真ですね

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