うちの奥さんがムスカリの花を買ってきた。葡萄の房のような愛らしい花が、小ぶりな鉢に寄せ植えされていた。ふと気になって花言葉を調べてみると、真逆と言っていい二つの言葉を持っていると知った。一つは『絶望』や『失意』という悲しみの言葉。もう一つは『通じ合う心』や『明るい未来』という幸せの言葉だ。まるで東ティモールのコーヒーのようだ、と僕は思った。
東ティモールという国を知っているだろうか。東南アジアの小国で、独立したのは2002年。21世紀最初の独立国だ。16世紀にポルトガルの植民地となった以降、いつも何処かの国に占領されていた過去を持つ。特に1975年から独立までの約27年間は、お隣のインドネシアから壮絶な侵略、虐殺を受ける苦難の時代だった。多くの人が暴行、拷問、強姦され、人口の3分の1が殺害されたという。その実態は酷過ぎて、ちょっとここでは書けません。ごめんなさい。
当初は国連総会でインドネシアを非難する決議が採択されたりもした。でもアメリカやオーストラリア、ヨーロッパの一部、そして日本までもがこの侵略行為を黙認(マジか!)経済関係や資源の問題が背景にあるのだけど。そのため長い間世界のメディアで取り上げられる事もなかった。例えるなら、誰にも知られる事なく体育館の裏で何年もいじめられ続け、家族までが目の前で拷問、殺害されても、すぐそばの気付いている人は見て見ぬ振り…そう言えばちょっと想像出来るかな。しかもそんなに昔の事じゃない。80〜90年代の話。
東ティモールの人はもちろん抵抗し続けたのだけど、彼らはインドネシア兵士を捕まえても、拷問はしなかったという。じゃあ何をしたのか?彼らがしたのは、自分たちの想いを伝え、平和を説き、無傷で解放すること。自分や家族や多くの仲間に、散々酷いことをしてきた相手なのに。
2002年、長かった侵略行為が終わりを告げ、遂に念願の独立を果たす。とは言えあらゆる物が破壊され、社会の基盤も無く、新しい国作りの中心となるべき全ての若者は、まともな教育を受けることがないまま大人になっていた。産業を発展させるにしても何もないと思われたが、放置されたまま残されていた物があった。それがコーヒーだ。
植民地時代の18世紀頃、ポルトガルによってコーヒーが持ち込まれ、大きなプランテーションが運営されていた時代があった。その後の紛争でコーヒーは半ば放置されてしまうが、自然の中で生き続けていた。独立後、世界は手を差し伸べ、コーヒー栽培も復活をする。日本のNGO団体も技術指導などの支援を始めた。
東ティモールのコーヒー最大の特徴は、無農薬有機栽培であることだ。これは狙ってそうしたのではない。農薬や化学肥料を買うお金さえ無かったからというのが理由だ。もう切な過ぎる。でも地球上のコーヒー栽培に適した環境で、かつ何十年も農薬や化学肥料の影響を全く受けていない土壌があるというのは、奇跡としか言いようがない。今や東ティモールのコーヒーはその生産量もクオリティも年々高まり、国民の4人に1人がコーヒー産業に従事するほどになった。
東ティモールの苦難の歴史は、人の心が持ち合わせる光と影、陰と陽の両方を出現させた。それはまるで歴史があぶり出す勾玉のようでもあり、また向こうには人にとって在るべき幸せや歓び、平和の姿をも示してくれているような気がする。ムスカリの花言葉が絶望と明るい未来を共に表すように、東ティモールのコーヒーにも陰と陽を併せ持つ深みを感じずにはいられない。東ティモールを焙煎している時、またドリップしている時、ふとそんな想いを抱いてしまう瞬間が、僕にはある。
【おまけ】
実は東ティモールのコーヒーには、もう一つの奇跡がある。自然交配が進むうち、アラビカ種とロブスタ種を掛け合わせた「ハイブリッドティモール」という品種が生まれたことだ。このマニアック過ぎる話は、いつか別の機会に。
この記事へのコメント
よもちゃん
綺麗で可愛いお花ですね、コーヒーへの愛が素敵すぎです
ほな
花ことばが浮かぶ教養がすばらしい。
みやねこ
今回はちょっと知らなかったお話しで勉強になりました。 マニアックなお話しも楽しみにしています。