アフターコロナ、withコロナを見据えながら過ごす日々はまだ落ち着かない。僕はコロナのおかげで覚えたオンラインツールで、時間と距離を超えてアメリカやフランス、スペインに住む友達と飲む機会が増えました。実質的な距離と時差だけで生きていた僕にとっては大きな変化だ。これだけに関しては、いい機会をもらった。
彼らが住んでいる国の都市部では、春から秋にかけて、身近な自然の遊び方が少しずつ変わってきているそうだ。もともと自然とのつき合い方が上手な彼らは、自然の中でのんびりするのは得意中の得意。世代をまたいで受け継いだ別荘での暮らしや、キャンプ、登山意外にも、プラスして、身近な自然を“ちょっと深く”楽しんでいる。
僕も触発されて、「生態調査」という名を隠れ蓑(ひとりでフィールドに行くための言い訳)にして、近所の自然をちょっと深く楽しみに行ってきた。場所はとある里山の小さな池。秋の少し涼しくなりはじめた金色の田んぼ沿いにある池の中の生き物を探す…。この時期は今まで山登りばっかりだったから、とても新鮮な時間だ。
フィールドはまったく無名のエリアなので、人はまったく通らない。一応、対人用にマスクをアゴの下に準備するけど、結局使わなくても大丈夫なくらい人と自然との距離感が心地良い時間が過ぎていく。
水辺用の網を立ち位置からなるべく遠くの池の底に入れて、中の土ごとじっくりかつゆっくりすくい出す。すくい出した網に優しく手を突っ込んで、池の中に住んでいる小さな生き物を探していく。爪の隙間も服もドロドロになりながらあさっていくと、コロナとは無縁のような世界で自由に生きている生き物たちが目の前に次々と現れる。
僕は釣りには“超”がつくほど向いていない性分だけど、網で生き物を探すのは相性がいい。突然陸にあげられてビックリしたのか、ウニョウニョ慌てて土の中に逃げ戻るドジョウに出会った瞬間の心臓が「ドキッ」と弾みつかまれたような感覚になる感じを繰り返すと、僕の狩猟採集魂についた火が少しずつ大きくなってくる。
捕まえた生き物をじっくり観察すると、同じメダカでもなんとなく表情が違って好みが出てくる。体長7mm程のヌマエビの透き通った体の中でゴニョゴニョ動いている内臓を見ていると、そこに「生きているぜ!」っていうメッセージと、生き物の不思議がダイレクトに伝わってくる。
3,000m級のアルプスも、清流も、海外の秘境も大好きだけど、近県でもなく、本当に身近な自然をいつもよりちょっと深く近づいてみると、実はワクワクする自然とのつき合い方があるんだなって感じた。
マイクロツーリズムならぬ、スーパーマイクロネイチャリングって感じかな。今度は家から歩いて5分の小さな森の中に行ってみようかな。皆さんも身近な自然をちょっと深く楽しんでみてください。
この記事へのコメント
おこめ
素敵ですね
ぽんで
自然の素晴らしさが身に沁みます
ほな
昔、消防署の向かいは池がありました。消火用の水です。
ほな
終戦後 各地に池がありました。環境悪化がよくわかる。
ほな
自然は素晴らしいです。