ひとまずオリンピックが終わりました。東京五輪としてはこの後パラリンピックを控えており、総括じみたことを言うのはどうかと思うのですが、コロナ禍での開催という難しい状況に加え、様々な問題点が浮き彫りになった大会だったと思います。でも周囲を取り巻く環境がどうであろうと、参加した選手たちの情熱や存在意義は変わらないと思ったし、彼らが生み出した数多くのドラマはやはり心に響くものがありましたね。そして集中的に様々な競技を見て様々な感動に触れるうち、ふと「その感動とはいったい何なのだろう。感動の大元にあるものは何なのだろう。」と思いました。その感動が生まれる為に欠かせないものとは何なのか…。
厳しい練習にも耐えた努力とか、才能を開花させたコーチだとか、他にもたくさんあると思います。でも突き詰めていくと幾つかの事柄に集約すると思いました。それは月並みな言葉ですけど、「基礎」と「継続」、それに「運」の3つで、更にこれらを「情熱」と言う力でミックスしたものが感動を生むのかな、と思いました。そしてこの中でも特に重要なのが「基礎」。基本とか土台とも言い換えられます。しっかりした基礎や土台の上にこそ卓越した技術やパワー、戦略などが活きてくると思うからです。でも一番初めに接することだから、ないがしろにされやすいとも思います。なぜそこが気になるかと言えば、僕自身いつもペーパードリップでコーヒー淹れている時、その基礎や土台のことを意識的に思い出すようにしているからです。
ペーパードリップの基礎や土台にあたるもの、それはちょっと意外に思われるかもしれませんがズバリ「コーヒー豆の挽き具合」だと思っています。ペーパードリップって、上からお湯をかけたら下からコーヒーが出てくるという魔法のようなことをしています。そこで起きていることと言えば、コーヒー粉の間をお湯が浸みつつ通過しただけです。しかもその出てきたヤツは既に完成品で、それ以上手を加えなくても素敵な美味しさって、良く考えたらスゴイですよね。逆に言えば、その“浸みつつ通過する”っていう所にその味わいの秘密があるわけですね。
ドリップ中、その内部では何が起きているのか?お湯をかける→コーヒー粉の粒にお湯が浸み込む→粒内部でお湯にコーヒーエキスが滲む→エキスが粒の表面に浮き出てくる→さらにかけたお湯が粒表面のエキスを洗い流す→コーヒーとして下から出る、という感じです。この時もしも粒が細か過ぎると、お湯の通る隙間が狭くて通過に時間がかかり、エキスを拾い過ぎてしまって濃過ぎたりエグい味になります。逆に粒が粗過ぎると、エキスをあまり拾えず薄い味わいになります。設計上ドリッパーはそれぞれの通過時間が決まっています。だから“ちょうどいい塩梅”でエキスを拾う粒の大きさ=挽き具合かどうかがとっても重要だとお分かり頂けるかと思います。
ざっくりですがメーカー別で言うと、カリタやメリタ(台形のペーパーフィルターを使うタイプ)は中挽き、ハリオやコーノ(円錐型のペーパーフィルターのタイプ)はもうちょい細かめの中細挽きと言ったところです。一般的に円錐型の方がお湯の抜けが早いので、その分細かいとちょうどよいという理屈です。でも厳密には挽いた粒の大きさが揃っているかとか、微粉と呼ばれるパウダー状の粉が極力混ざっていないとか、粒の断面は細胞が潰れず鋭利にカットされているかなどポイントはあるのですが、これ以上はヘンタイ…じゃなくてタイヘンな領域なので、以下自粛ってことで。今回はコーヒーミルの話をしようと思っていたのに本題にすら辿り着けないって酷いなぁ。ではまた!
この記事へのコメント
ぷりたれ
私もドリップ中いろんなことを考えてみたい!
ほな
コロナ禍が最大になり、困ったものです。金より健康が忘れ去りました。残念、
江戸っ子
それ以上手を加えなくても美味しさって、本当に、すごい事だとおもいます。
コーヒーのドリップもそうですが、土台がシッカリしていると、何事もうまくいくのでしょうね。
馬事公苑、長い間工事をしていたのに、無観客って 気の毒だな~っておもっていたのですが、土台が゜いっかりしているので、今後の退会や、学生たちの教育、馬の環境整備などなど、メリットもあったんだと思いたいです。
だあきち
実は、コーヒー豆を挽くの苦手です。
自分で挽くと粉のサイズにムラが出てしまうので…
やっぱりお店に任せた方が美味しく飲めます(^^)