まだ4月だというのに、今年はすごい人たちが既に何人も天に召された。ミュージシャンではYMOの高橋幸宏さんと坂本龍一さん、シーナ&ロケッツの鮎川誠さん。海外勢でも3大ロックギタリストの一人ジェフ・ベックさんや、80年代初頭にAORというジャンルで一世を風靡したボビー・コールドウェルさん。バート・バカラックさんもカーペンターズの『遙かなる影』の作者と言えば伝わるだろうか。他にも松本零士さんはたくさんの夢を与えてくれたし、信藤三雄さんはこれでもかと言うほど多くのミュージシャンのアルバムジャケットをデザインされてきた。
時代にその名を刻むような人が鬼籍に入られるのは、時として大きな喪失感を伴うけれど、全く無名の一人との別れもそれと同じかそれ以上の思いを感じる。先日僕の奥さんの父、僕にとってはお義父さんとの別れがあった。お義父さんは日本海側のある田舎町の生まれで、上京したのち20代の最後にお見合いで結婚した。いつもマイペースな自由さと困っている人に手を差し伸べる優しさのある人だった。仕事も頑張った人で、独立して起こした会社を引退するまでやり遂げた。こうして育て上げた3人の子宝のうち一番上の人が、僕の奥さんとなった。
奥さんの実家に初めてご挨拶に伺った時のことは、今も忘れられない思い出だ。お義父さんは首から一眼レフをさげ、家の前の通りに出て僕らの到着を待ち構えていた。初対面で緊張したまま近付いた僕はまずご挨拶を…と思いきや、お義父さんが開口一番「はいはい、じゃあこっち来て、そこの塀の前に並んで!はい、こっち見て!」と僕と奥さんのツーショットをバシバシ撮り始めたのだった。写真を撮るのが趣味で、部屋にもお義父さんの作品がたくさん飾られていたほどだ。でもあの時は、もしかしたら堅苦しい挨拶が嫌だったのかもしれない。とても純粋なところを感じる人だった。
昨秋に体調を崩し年末から1ヶ月ほど入院。退院後は自宅介護となったが、医師から余命1ヶ月と宣告された。身体が衰弱する中でも意識や意志はずっとハッキリしていたが、1ヶ月半が経ったある昼前のこと、気付いた時には息をしていなかった。この”1ヶ月半”のおかげで、家族みんなはそれなりに心の準備が出来たし、親族は順繰りに挨拶に来られた。そして痛い苦しいも無く、眠るように自宅で看取った最期だった。僕は不思議と悲しみよりも、ただひたすら「お見事です!」という思いが湧いてくるばかりだった。
午後には医師の死亡診断が下され、弔問者が次々と訪れる中で葬儀社の担当がやって来た。早速打ち合わせをというその時、突然お義父さんの方から何か音が聞こえてきた。それは近くに飾ってあったオルゴールの音だった。ずっと誰も触れることのなかったオルゴールが、ゼンマイの最後の一息といった感じで途切れ途切れに、ゆっくりと鳴り始めたのだった。「あぁ、お義父さんだな」と奥さんと顔を見合わせた。
考えてもみれば午前中は生きていたのに、午後には何故か横たわる自分の身体を見下ろし、目の前にいる自分に誰も気付いてくれないまま家族が葬儀の相談を始めたとしたら、「俺はここにいるぞ!」ってオルゴールの一つも鳴らしたりするのは、むしろ自然なことのように思えた。そして何よりお義父さんならやりそうだな、とも。大丈夫、気付いてますよ。幼少期から母子家庭で育った僕には、初めて父という存在感を感じさせてくれた人だった。ご冥福をお祈りいたします。
この記事へのコメント
ほな
オルゴールは懐かしいです。
ミキ
オルゴールが鳴ったのは絶対お義父さんですねー。私の父の時は頂いたお花(花瓶が5-6本分くらい)が左側から明らかに不自然にバサバサ音を立てたことがありました。エピソードはより強くずっと皆んなの心に残るので、さすがですね(笑)
ご冥福をお祈りいたします。
ほな
桜がきれいです、
江戸っ子
ご冥福をお祈りいたします。
人の最後は選ぶことができないって言われますが、もし、選べるとしたら、こんな最期がいいな~
hirune
想いが伝わりますね
*
人が亡くなるのは とても寂しいけれど ご縁があり家族になり楽しかった思い出はずーっと残りますものね。
お義父様のご冥福をお祈り致します。
ポンちゃん
悲しいけど、何か心温まるお話しでした!
ぽんで
人は必ず死ぬんだということを改めて認識させられました
おひるだ
とても素敵なオルゴールですね。二枚の桜のお写真も、とても綺麗です。もしかして黒田さんとお父様、なんとなくではございますが、どこかしか似ているような所があるのではないかと感じてしまいました。また少しずつ、御家族と穏やかに、和気あいあい、過ごされて行けますように。
不思議なことって、本とにありますね。
コーヒーブレイク
ノスタルジックで心が落ち着きそうですね!